命の長さ

元旦
大学時代からのお世話になった方からの年賀状を見て
びっくりした。
「今年の年賀状で最後にしたいと思います。
長い交流をありがとう」
って、書いてあったので、驚いて、
先週の仕事のない日を利用して、高知に行ってきた。


昨年は、時間で人工呼吸器を装着していたが、
今は、24時間人工呼吸器をつけることになっていて、
もう、声がしゃべると、大きくなったり、小さくなったり、
南さんも苦しそうでした。

2年前ぐらいのブログでも描いたことがありましたが
南さんと私の出会いは、
大学のサークル
障がい者問題を考える会」
という会で、出会った方でした。
(私を大学時代から知っている人も、読むかもしれないので
補足しておきますが、表面には見えてませんでしたが、地道にこの活動もしていたのですよ・・・)

その当時は、電動車いすに乗り、大学にも何度も来てくれていた。
南さんは、筋ジストロフィーという治療法が確立されていない難病をもたれていた。
わたしは、教育学部の特設美術教員養成課程というところに、
籍をおいていたので、
南さんから
「おれに、水彩画教えてくれんかな」
と言われた。

わたしも、初めは躊躇したけど、簡単に基本的な手ほどきをすると、
後は南さんの独学でまたたくまに上達した。

そして、私が卒業して何年か経ったら、
「個展をします」
って案内がきて、
行ってみると、本当にたくさんの作品を描かれていました。

話は戻って、
それで、今回、南さんのお宅を訪問した訳ですけど、
筋ジストロフィーという病は、本当に確実に進行していたのだな。。。と思った。
そうでなかってほしい・・・と、心の中では、思っていた。
だけど、本当にこうなってしまうのか・・・・。

南さんが言うのです
「理恵は、描かんのか?」
といわれる。
「わたしも、一生懸命生きているのですが、
なにかしらどうしても作品を描く気にはなれないんですよ。」

というと、
「おれには、時間がないからな・・・」

「そこにある、私の原画、理恵、好きなん持っていきや」
と言われた。

値札は、80000円とか、30000円とか書いてある・・・。

え〜〜こんなに値段がする作品を、ただでいただいていいんですか?
ていうと

「ええよ。原画にしいや。印刷した複製もあるきに」

そして、悩みに悩んだあげく
これらの作品にした。

喜んで、もらって帰ったのだが・・・・

家に帰って、
落ち着いて考えてみると、
南さんが、どうして、自分の原画をそれも、値段もついている絵を
ただでくれたのだろうかと、考えてみると
とても、やるせない気分になってきた。

南さんは、自分の寿命を悟ってこんな事をしているんじゃないだろうか・・・・。

わたしは、この絵をもらって帰って、
どうしたらいいのか、わからなくなった。

のんきに、命はいつまでもあるように生きている私、
一刻一刻、自分の限られた命を無駄にしまいと、
がんばっている南さん。

あ〜〜〜、
少なくとも、わたしは、、私に与えられた仕事や責務をこなすことだけは
クリアーしたいと思う。
どんな逃げたいことがあっても、
私を必要として依頼してくれた仕事なのだから、もっと真摯に取り組んでいこう
これぐらいは、やらなくては、南さんに対して申し訳ないと思った。

やりなさい、私。

ある授業の一言から

障害者権利条約が批准されるそうですね。

きっと、特別支援教育についても、
大きく学校の取り組み方が変わってくると思います。

話は違うところから始めますが、
この最近、
あるクラスの男子が授業に来なくなったので、
「あの子はどうしたんですかね?」
と聞いてみたら、特別支援教室に通うようになったということでした。

なんだか、授業していて、何かが足りない感じがして、
そのクラスメイトに、
「あの子がいなくて、なんだかさみしいね」
というと、
「先生、あの子がいなくて、すっきりしていいじゃないですか」
といわれた。

なんだか、
ちがうぞ。。。と思った。

いろいろな支援や、当事者の子どもに対していろいろな支援が行きとどくようになった。
これはいいことだと思う。
だけど、
その周りに居る人々
これこそが、関心を持たない限り、
障害者権利条約に関して、さまざまな国内法が整備されていっていますが、
根本の問題についての進歩は期待できないと思う。

話の方向は一転して、その子の話。
先日、期末試験があった。
私が受け持っている教科のテストの時、
その子のいる教室まで、質問がないかどうか見に行った。

すると、
筆記のところはほとんど、何も書いてなかった。
「解答用紙の裏に、実技をやるところがありますよ」
と、伝えると
「あ、そんなんあったん?!」
といって、取り掛かった。

集めてみて、その子の実技のところをみると、
しっかり書いてあった。


それも、ウィットを効かせた言葉も入っており、
プッと面白くって吹き出してしまった。



そのとき、わたしは思いました。
この子は、人を楽しませる能力があるんだって。
これこそ重要なことなんじゃないかなって思いました。

そして、その子自身が人を喜ばせていることを知ってほしいと思う。
これはこの子が、幸せになれる近道だと思う。
そして、まわりの人たちも、
その子がいることで、自分たちも幸せになれると感じて欲しいと思う。

本当に、この子が特別支援教室に移動してよかったと
言えるんじゃないだろうかと思う。


言及すれば、クラスメイトが、その子がいて、迷惑だと感じてしまったのは、
その子のせいではなく、
そう感じさせてしまった学校の雰囲気作りだと思う。

そういう特性を持っていても、
みんなが幸せを感じることができるようにすること。

その子自身が、自分の生を生き生きと謳歌する事が第一に必須ですが、
それが、他のみんなにも波動になって伝わり、その子がいても、そのクラスは楽しいんだ。と思えるように成ってほしいと思う。

その子がいなくなって、「すっきりしていいでしょう」
という言葉が発しなくなるような教育を望みます。

そして、私自身も、気をつけます・・・・。

昔、癒されてた曲

10年ぐらい前、1人暮らしをしていた。
その時、
眠る前に、必ずと言っていいほど、
聞いていた曲がある。

菅野美穂さんの『Zoo』と
SMAPの『らいおんハート』
です。

結構、聞き様によっては、涙出てきたりするんですよね〜〜〜。

と、たまたま、最近テレビで懐かしの歌謡曲の番組をやっていて
この曲がかかったので、
どうしても、また、聞きたくなって、さっきユーチューブで聴いてしまった。

今聞くと、
懐かしさのあまり、あのころを思い出して、涙、涙でした。


今は、実家で暮らしているので、
あんまり、夜な夜な曲を聴くようなことはなくなったけど、

あのことは、家に帰ると、誰もしゃべりかけてくれる人もおらず・・・
毎日、仕事に出かけては、辛いことばかり・・・・
さみしすぎて、曲を聞かずには、眠れなかったですね・・・。

う?

今も、夜、誰からもしゃべりかけられんし
仕事に行ったら、辛いことあるけれど・・・
よく寝てます。
それだけ、今は、曲を聴かんでも寝れる、ずーずーしさを持っちゃったということか?!

どうしようもない別れを乗り切るために

祖母が先週、
風が去るように、亡くなってから
早、一週間が過ぎました。

外を出歩くと、
様々な方に、
落ち着かれましたか?
とか、
おさびしくなりましたね。。。

と、声をかけてくださる。

とても有り難いことです。


なのに、

わたしは、

祖母が、ずっと居た
その部屋からは、今でも、祖母がまるでいるかのような
気配を感じる。

私が生まれるよりも、ずっと前から、
この家に住んでいて、
そして、
私が、生まれてから、
お風呂にいれてくれたり、
ご飯を作ってくれたり、
洗濯してくれたり、

いろいろなことを教えてくれた。

お葬式をやっても、
すぐには、祖母の存在は、消え去らない。


母と、毎晩、
お念仏をあげている。

なんで、49日までお念仏をあげなきゃいけないのだろう・・・
と、思っていたけど、
お経をあげていたら、
何の理由もなく、心が落ち着いてくる。

どうしようもない別れ

それを、乗り越えるために、先代の方々が見出した、
生きるための知恵だったんだ。。。

人間業では、到底乗りきれない出来事は、
このようにして、乗り切れるのね。。。。

そんな気持ちになりました。。。

ありがとう そして、がんばって! Iさん

本当に、本当に、うれしかった。


今日は、台風接近で、
雨で、じゅくじゅくした休日・・・
は〜憂鬱・・・と思いながらすごしていた。。。


すると、
突然、携帯が鳴った。

「文宝堂の土居です。」
と、いわれる。


この先生は、画塾の先生だ・・・。
はて、何かあったのだろうか?

「大川先生、
先生に紹介していただいた
Iさんですけど、彼女、めきめき画力がついて、
東京芸大をめざすことになったんですよ。
それで、夏休み、一度、東京の画塾で講習会に出てみたら、
周りの先生も薦めもあったのだけど、
彼女も、その気になって、
これから、東京に出て、本格的に芸大を目指すために
勉強することになったんです。」

と、教えてくださいました。


本当に、おどろいた!
彼女との出会いは、定時制だ。
1年前、ちょうど彼女が2年生のときに、
学校の耐震工事のせいなのか、なんなのか、原因はわからないんだけど、
学校に来ると、目がかゆくなり、
最悪眼が開けられないぐらいにまでなったので、退学した。

しかし、
彼女は、美術のほうに進学したいという強い意志を持っており、
松山にも、いろいろ画塾はあったのだけど、
文宝堂の画塾を紹介した。
すると、
そこに、熱心に通い、力をつけ、
東京にまでいって、
勉強をするまでの目標をもつことができたということなのだ。

他の誰にも信じてもらえなかったけど、わたしは信じてたよ。
彼女は、やるんじゃないかって・・・。

これだけでも、感動していたのだが、

つづけて、土居先生が

「大川先生、本当に素質のある生徒を紹介してくださってありがとうございます。」

といってくださったいました。

これは、
私にとっても、たいへん励みになりました。

実は、私が、この最近、
自信消失になりそうな事件があって、
自分自身、一生懸命やっても、なにも伝わらないのかな・・・・。
と、思う悩む日々を過ごしていおりましたが、


言い過ぎかもしれないけど、
わたしの、目に狂いはなかったと思いました。
全くの、彼女が伸びるかどうかは、わたしの「勘」でしかなかったけど、
伸びたんだ!
(なにも、彼女に対してはやってないのに、大きなこと書いてごめんね。)


気付いたことは、
そう、「教育」って、
生徒だけを育てるのではなく、自分自身が「育てられている」のだと思いました。
そして、
目の前で、起こっていることが、「すべての結果ではない」ということだ。
成長するのだ。
今は、こうであっても、変わっていくのだ。

生徒によって、私自身、嘆き悲しむ時もあれば、自信をつけてもらったり、
うれしんだり・・・・。
それが、
忘れたころに、喜びをもたらしてくれるんだな〜〜って。



まだ、彼女も、これから大きな目標に向かってチャレンジするけど、
悪い方向にはいかないと思います。

今、進行形で、悩んでいることも、いつかは・・・・
というより、私の手元を離れて、忘れたころに、
大きく、大きく成長しているんだろうな・・・・。
きっとそうだ!

それを、信じて、

これからも、
わたしも、めげないで、仕事していこうと思います。

思ったこと

ものごとを、やってみて、そこから、コタエをみちびきだす。
やらざるして、こたえがわかったつもりになる。

そういうのは、やめよう・・・

わたしは、コウドウしてみて、コタエがなんなのか、さぐっていきたい。

9教科・・・されど4教科


最近、ずっと期末試験を作っていたせいなのか・・・・
すっごく、気持がふさぎこんでしまって、
突発的に、
ある特定の仕事が、投げ出してしまいたくなった。。。

危ない!

と、自分でも思って、
電話をかけた先が、
なぜか、近所の公民館。

「もう、館長、わたし、○○の仕事は、やりたくないんです・・・」
というと、


「りえさん、
辞めたいという、気持ちを、他人のせいにしてはいかんよ。
どうして、うまくいかないのか、もっと、整理して、
管理職にうまく説明できるようにせんといかん。

そして、『子どもの、教育のために』ということを常に考えたことを
やっているか。
どうなのか。

りえさん、
美術という教科が、あまり、
学校で大事にされていないと嘆いているのかもしれないけど、
もっと、大きなスパンで考えてあげて、

現時点で、数学や国語などが、大きく学校では重要視されているかもしれないけど、
1人の人間が、大人になったときに、
何かの趣味や、何かに没頭するものがなくては、生きていけないものなのよ。

それが、
音楽・美術・体育・そして、道徳が、大人になったときに発揮してくるのよ。


それらが、学校で教科としてはウェートを占めてないかもしれないけど、
卒業してからの、子どもの人生を考えてあげる、そういう人に
理恵さんには、なってもらいたいと思うわよね・・・。


せっかく、外部から学校にいってるんだから、
事務的に考える人になんかに、なりなさんな。

りえさんは、りえさんの教え方を貫けばいいのよ。」

この言葉を聞いて、なみだがでそうなぐらい、うれしかった・・・・。


明日は、期末テスト前日、
美術のテスト勉強なんかする生徒なんかいないわ・・・
と、嘆くのではなく、

そういったものも超越して、
美術を通して、彼らのこれからの将来、
人生に色どりが加えられるように、
指導していけたらと思う。