ある授業の一言から

障害者権利条約が批准されるそうですね。

きっと、特別支援教育についても、
大きく学校の取り組み方が変わってくると思います。

話は違うところから始めますが、
この最近、
あるクラスの男子が授業に来なくなったので、
「あの子はどうしたんですかね?」
と聞いてみたら、特別支援教室に通うようになったということでした。

なんだか、授業していて、何かが足りない感じがして、
そのクラスメイトに、
「あの子がいなくて、なんだかさみしいね」
というと、
「先生、あの子がいなくて、すっきりしていいじゃないですか」
といわれた。

なんだか、
ちがうぞ。。。と思った。

いろいろな支援や、当事者の子どもに対していろいろな支援が行きとどくようになった。
これはいいことだと思う。
だけど、
その周りに居る人々
これこそが、関心を持たない限り、
障害者権利条約に関して、さまざまな国内法が整備されていっていますが、
根本の問題についての進歩は期待できないと思う。

話の方向は一転して、その子の話。
先日、期末試験があった。
私が受け持っている教科のテストの時、
その子のいる教室まで、質問がないかどうか見に行った。

すると、
筆記のところはほとんど、何も書いてなかった。
「解答用紙の裏に、実技をやるところがありますよ」
と、伝えると
「あ、そんなんあったん?!」
といって、取り掛かった。

集めてみて、その子の実技のところをみると、
しっかり書いてあった。


それも、ウィットを効かせた言葉も入っており、
プッと面白くって吹き出してしまった。



そのとき、わたしは思いました。
この子は、人を楽しませる能力があるんだって。
これこそ重要なことなんじゃないかなって思いました。

そして、その子自身が人を喜ばせていることを知ってほしいと思う。
これはこの子が、幸せになれる近道だと思う。
そして、まわりの人たちも、
その子がいることで、自分たちも幸せになれると感じて欲しいと思う。

本当に、この子が特別支援教室に移動してよかったと
言えるんじゃないだろうかと思う。


言及すれば、クラスメイトが、その子がいて、迷惑だと感じてしまったのは、
その子のせいではなく、
そう感じさせてしまった学校の雰囲気作りだと思う。

そういう特性を持っていても、
みんなが幸せを感じることができるようにすること。

その子自身が、自分の生を生き生きと謳歌する事が第一に必須ですが、
それが、他のみんなにも波動になって伝わり、その子がいても、そのクラスは楽しいんだ。と思えるように成ってほしいと思う。

その子がいなくなって、「すっきりしていいでしょう」
という言葉が発しなくなるような教育を望みます。

そして、私自身も、気をつけます・・・・。