とりとめのないこと

「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です

遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、
どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です。
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、
将来は「有効な形質」になってるかもしれません。
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの
「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、
生存戦略上の「保険」となるんです


上記は、ある日の知恵袋のベストアンサーですが、
これは、本当のことを言っているのかもしれないという
出来事がわたしのもあったので、
忘れないように記載して思うと思います。


わたしが代表を務めている団体があります。
そこで、
ある問題がおこりました。
その問題を解決するためには
わたしだけではだめだと思い、
立会人を仲間に募集したところ、
特に男子に来てほしかったのですが、
自ら手を挙げてくれた男子は、
その・・・A君だけでした。

たぶん、
頭の回転の速い者にとって、
今回の件は、あえて問題の中に入っていくようなものなので、
できれば避けて通りたい
自分から火の中に飛び込んでいこうとはしない。

だけど、
A君は、それでも、自ら火の中に飛びこんでくれることを選んでくれた。

他の人に言わせてみれば
「なんの立会だかわかってなかったから、A君は手を挙げたんでしょう」
と言われました。


そうかもしれません。

だけど、
あの時、必死に誰か立会人を探している中、
誰も手を挙げてくれない時に、手を挙げてくれたのは、
わたしとしては、大変うれしかったことです。



なにがいいたいのか。。。

つまり、
いろいろな物事を何でもわかってやれる人だけでは、
社会は回っていかないということ。
時には、
(いい言葉がわからないのですが)
物事がはっきりわからない人も、社会に存在していなければ、
うまく回らないこともあるっていうことです。

社会がうまく回っているのは、知恵が働く人だけではなく
働かない人もいる必要があるということ。
(うまく言えません。。。語弊を感じている人がいればごめんなさい)

そう考えていくと、
そのままのものが、(その人のそのままが)
社会に認められるようにしたほうがいい。

皆さんの意見はどうでしょうか?