途上国と日本の教育の違い

なになに、なにか違うよ。
先日、中学生に
ある方々が、貧困の国での、子どもたちの様子を、
映像と、お話で伝えていました。

フィリピンのストリートチルドレンのお話や
ごみの山の地域で暮らす人々のお話をしていました。

すごかったです。


しかし、
「学校に行けれない子供がたくさんいます」
とか
「ある女の子は、学校に通いたいと一生懸命思っていました」
とか
・・・あんだけ、しゃべられると、
なんだか、
日本の子どもたちが、学校行けれるのに、ありがたさを感じてないだろ〜〜
と、いわんばかりだな〜〜〜。
と、感じてきた。

日本にいたって、
できることなら、学校に通って、勉強したい

学校に通えてないのは、ありがたさを感じていないのではなく、
彼ら1人1人の存在自体が、学校の中で確保されていないからではないかと思う。

途上国の「学校に行って勉強がしたいけど、いけれない」
と、
日本の国の「学校に行って勉強がしたいけど、いけれない」
は、同じように言っていても、背景が全く違う。だから、意味合いも違いすぎる!

それを、
途上国では、「学校に行きたいけど、学校にけれない子がたくさんいるんだから
日本にいて学校に通える環境にいるんだから、ありがたく学校に通いなさい」
みたいな、一辺倒な見方ではいけないと思う。

わたしが、
中学生だったときに、痛いと感じていた心の痛みは、
途上国には、ほとんどない。

子ども、子ども、子どもだから・・・という風にみるのではなく、
子どもでも、できることがあって、
子どもだからこそ、できることがあって
そこを、発揮してあげるそういった場、
そこが、教育現場にあればよい。
特に、先生と生徒の勝負の場である、「授業」において、
そういう生徒、1人1人の特性が発揮できる場が欲しい。

そうすることで、
自分から、人生を選ぶ楽しさを感じることができると思います。。。