最近の中学生は・・・

中学校の講師を4月からはじめて、2か月がすぎた。

ちょうど、5年前に、中学校で講師をやっていて、
久しぶりの中学校に戻ってきた。

その間に、高校では非常勤をやってきたのだが、
やっぱり、中学校は格段違っていた。。。。

違和感をたくさん感じるので、
忘れない内に、記述しておこうと思う。


一つは、
生徒を、怒る時に厳しく怒る。というところだ。

だけど、
わたしも、まあ、中学校を去ってから、個人で、子どもと造形を通して
触れ合ってきて気づいたものがある。
それは、子どもになるべく、寄り添うことだ。

「厳しく生徒に接しないと、子どもになめられますよ」
といわれた。
生徒に厳しく接しないとなめられるのではなく、
生徒が、厳しくしてくれる先生の言うことは聞くのだ
というような構図が学校内で出来上がってしまったからだと思う。

『厳しい先生には、自分の意思を殺して先生の言うことを聞く』
ことに慣れてしまった。

裏を返せば『厳しく言わない先生は、言うことを聞かなくていい』
といった構図ができたといえる。



なぜ、中学校では、突然、否定からはいらなくてはいけないのだろうか?
それから、
生徒のほうも、2年生など特に、
なんだか、行動が粗雑。
プリントを配っても、わざと、パサっととって、プイっとした顔でとっていく。

そういえば、前の中学校にもこういう子はいたな〜〜。
と思って思い返す。

そして、この中学校から、ドロップアウトして、
定時制に入学してきた生徒に、偶然出会った。

「中学校では、なんであんなになったのか、もう二度と思い出したくない」
という。

その中学校に、今、私はいる。
そしてまた、ドロップアウトしそうな生徒。
するのではないかと思う生徒。
していなくても、教員に、個性を押し殺すことを強制されている生徒。
それは、わたしの勘で、なぜか感じる。

それを、なんとか、わたしの思う指導がしたいのだが、
このままでは、とても出来そうもない。

わたしの指導力のなさを、恥じるべきなのかもしれないが、

定時制にきている生徒を見ていると、
大きな傷を負う前に、早く中学校で気づくべきだったのではないかと思う。

そういったことに気づくのだが、
実際のわたしは、この体制におびえてビクビクしながら授業をしている。
何にびくびくしているのか
それは、自分の個性も発揮できずに、学校の体制に抑えつけられている自分に
びくびくしている。
きっと、ドロップアウトした中学生の子、わたしと同じ心境の子だっただろう。。。


中学生は、授業は選択制ではないから、
強制的にやらされていると感じるから、
やりたくもないのに、なんでしないといけないの???
という感覚になっている生徒が多いのだろうか
すぐ、放り投げる生徒が多い。

では、たとえば、そこにある柿を、自分からとってきたくなるようにするためには
どうすればいいのか・・・・。

なぜ柿が必要なのか。
その柿がおいしそうだから。
食べたいから。

おいしそうな教材。

自分からとりに行きたくなるもの。

それは、自分の知っているものですこしだけ新しいもの
そして、自分の個性が発揮できるもの。
失敗しても、それは失敗とあまりみとめられないもの。

それは一体何なんだろう・・・・。

美術が本当にやりたくて、この授業に参加してくれている生徒もいると思う。
その生徒まで、汚染されたくない。

やりたくない生徒。
やりたくない生徒は、本当、参加してもらいたくない。
やりたくない生徒は、なぜ、やりたくないのかを、ずっと紙に描いていたほうが、
心の闇がとれてすっきりするだろう。

やりたくないものをやらされていると、悶々として、
こちらにストレス発散されるのだったら、やらないほうがましだ。


・・・なんて、いえばいいのかな?
う〜〜〜ん、なんとなく、違うような気がする・・・・。


夜は更けても、わたしも悶々とする・・・・。