一枚の写真から・・・

一枚の写真から・・・・


ふと、エジプトに住んでいたときの写真がでてきた。


わたしがエジプトに住んでいたとき、インテグレイト ケア ソサエティという
施設で、知的に障害のある子どもたちに、造形指導していました。

この施設は、アラブの春ともいわれた革命で追放されてしまった
元大統領ムバラクさん、その奥さん、スーザン ムバラクさんが設立した施設でした。
そういったところに配属されたから、いろいろいい施設なんだろうな〜と、
思いながらいってみると、
その予想はおおはずれに外れて、何もなく、
ましてや、何を使って教えたら??といっていいほど、何もありませんでした。

隊員支援経費というものもありましたが、見積もり?というほどのお金でもなく、
私が少しずつ、毎月の生活費の中から、自費で絵の具などの
教材を買っては、子どもたちといろいろ試行錯誤してやりくりしていました。


はじめ、子どもたちと作った作品は、
次の日、驚いたことに、お掃除のおばちゃんに捨てられていました。

これには、驚きました。
「どうして捨てるの?」と聞いてみると、
「え、こんなのごみみたいじゃない?」っていわれました。
といっても、この考え方は、このお掃除のおばちゃんだけではなく、他の先生方も、
ほとんどが、子どもの作品にたいしては「ごみみたい」な考え方で、
ここに通ってくる子は、ピカソもびっくりするような構造力のある絵がかけることを期待していたようです。


「そ〜か、それならば!」と一揆奮起して、わたしの子どもたちと一緒に作った作品は、学校にある壁という壁に掲示していくよう心がけました。


この施設は、先にも触れましたが、今は追い出されてしまった元大統領ムバラクさんの奥さん、スーザン ムバラクさんが設立した施設だったので、
色々な見学者が部外からやってきました。

そのときに、うちの理事が、施設内を案内して回るのですが、
その説明の仕方が、だんだん、変わってくるのがわかりました。
わたしと子どもたちとが作った作品の前で止まって、
「これは、絵の具を使って、こうやってあ〜やって」
と、作った行程を来館者に説明しているのです。

はじめは、ごみだといわれていた作品も、たくさんの職員や親御さんの目にとまるようになると、だんだん「うちのこの作品だ」とか、「あの子の作品か?これは?」とか、

見る人自らが、品評者みたいになって、わたしがなにもしなくても、絵を見ては、子どものことを考えるようになっていきました。

2年ほどしか、この施設にはいませんでしたが、最後のほうには、絵の具さえも自腹で買っていたのですが、いつのまにか、施設側のほうで用意してくださるようになり、
はじめは、薄暗い小部屋で、子どもと接していたのですが、
明るい大部屋に待遇が上等になってしまいました。

・・・今は、日本に帰ってきて、
あのときの出来事は、夢のような感じになってきつつあるのですが、
わたしが日本でもお伝えすることができるのは、
あのとき、わたしもお掃除のおばちゃんと一緒になって、子どもの絵を捨てままにしていたら上等待遇にはなっていなかったと思います。
そして
どこの国でも通用する普遍性というのが、あるということが発見できたことです。

ほとんどの人が、弱いものを大切にしたい、
社会貢献したいという気持ちはあるということ。。。

わたしが、上等待遇になれたのも(しつこいのですが)、
わたしが、その子どもの作品をただ、壁に掲示しただけ、
ただ、ポイントは、子どもの絵に価値があると大切に扱ってみた行為です。
誰か一人でも、価値がないと思っていたものを大切に扱う人が出てくれば、他にもその人と同じ考えの人が結構いて、それに同調してくれる場、機会が与えられると広がってくるモノだと感じました。

あなたが、価値があると感じているのに、あのお掃除おばちゃんと同じように、 
その心にそむいて、捨ててしまったら・・・・。
実は、そういうことは結構やっているのではないかと思うのです。
本当は、自分はこれはいいと思っているけれど、他の人がそうだとは思っていないから、捨ててしまおう。とか、便利ではないから、いいものではない。とか、
勝手に、周りの目を気にして、大切にしてきてないものとかが、

”あるのです。”


自分が見つけた価値のあるものは、見つけられていない人たちに伝える・・・
それは、見つけたあなたの義務だとおもうのです。



どうでしょうか?


わたしの意見にご賛同の方いらっしゃったら、
是非に、今日からでも、
自分の思いを社会に発信してみませんか・・・・・?