トイレのかみさま

本年も、駄菓子屋さん、絶賛好評!です。
今日、お買い物をしてくれた、3年生の女の子は
「今日はしあわせ〜〜〜」
っていいながら、駄菓子をわたしからもらってくれた。
こんな感謝の仕方ってあるんだな〜って、私自身も驚く。
「なんで、しあわせって感じたん?」
っていってみると、
「だって、ここに来てお菓子買うのが生きがいなもん!」
って!
この言葉にも、びっくり。

ところで、
この最近「トイレの神様
という歌が反響を呼んでいますが、フルで聞いたことがなかったので、
U-チューブで聞いてみました。
思わず、ボロボロ泣いちゃいました。
こりゃ〜〜〜ええ曲でっせ!
2部のほうがすごくよくて、
おばあちゃんのところを離れて、都会に出て、大事な人を悲しませた〜
なんかって、う〜〜泣けるね〜〜〜。

そういえば、
この駄菓子屋を開かせてもらっている場所は、HPでもなんども触れてきたけど、わたしの祖父母の家でした。
この家に、祖父母の生前、毎年お正月には、親戚みんなで集まって、ワイワイやったもんね〜。
それが今では、みんなバラバラだ。。。。

父の一周忌を先日の8日行った。
親戚は久しぶりに集まってきたけれど、
話す内容は、お粗末なもの・・・・・・。

わたしも、そして、みんなも、生活に追われて、余裕なんかなくなってるのかも・・・・。
だけど、じいちゃんや、ばあちゃんが生きていた時代だって、たいへんな時代だったと思う。
何が変わったんだろう。

今日、新聞を読んでいたら、無縁社会に対抗してコミュニケーションをとりたがる人を『コミュタリアン』というそうです。
ははは、わたし、『コミュタリアン』かな??

わたしは、いろいろな人と話したり、出会ったり、そういったことで
自分も成長できると思うし、周りの人がどんな助けが必要なのかを知ることができると思っている。
だまっていても察知してあげるのは、ある程度、交流がある人であるからだ。
成人している人だったら、そんな人の付き合いなどその人で選べばいい。
だけど、何もわからない子どもたちにとって、
自分たちに無関心な大人を感じることはさぞかし寂しいだろうと思う。。。
ある程度、自己が確立した大人だったら、いろいろな人に何を言われようと
強く生きていくことができるだろうけど、
まだ人生経験も浅い子どもが、大人から無視をされて育つというのは、
辛いことだ。

わたしのおばあちゃんではないけど、
わたしのおかあちゃんがいうには・・・
「人生は、ハチの字のようになるといいんやで〜
ハチの字、をかいてみ〜。数字にしても漢字にしても最後が大きくひろがっとろ〜
そういう末広がりな人生を歩めばいいんじゃ〜。」

っていうのを、そうそう、めちゃくちゃ、小さいときに言ってくれた。
小さいときに言われたけど、結構頭に残っていて今でも思い出せる。

私は今、8の字の、ちょうどひねられた
「ねじれ」部分を通過しているのかもしれない。