”あぷりこっと”な理由

今日、
松山冒険遊び場の山本よし子さんと、お話しました。
よし子さんは、松山の飯岡公園で子どものための居場所場を作っておられる
この分野では、松山では先駆者的な人です。
http://blog.canpan.info/asobiba/archive/3
最近、私自身、
近所の人から、
子どもがうるさいとか
ボール投げるなとか、いろいろいわれて、正直まいちゃうことが
縦続きに起こっていたのです・・・・・。
その中で、大変、わたしも涙が出ちゃうかと思うほど、
いいお話を聞かせていただきました。
「なんで、わたしがこの活動をはじめようと思ったのは、
愛知県で生まれで育ってね、地域の大人ってこんな風なんだ
子どものことなんかってあんまり考えてないんだ
って思いながら育ってきたのね。
自分は二十代のときに、子ども産んだんだけど、
自分自身は精神的には大人になっていなくってね。
それは何でかって言うと、その子どものときの
「大人って・・・」っていうネガティブな感情が抜けなかったから
だったのね。
それが、いろいろあって、あるとき
「「そうか、自分がそう子どもに思われない大人になればいいんだ!」
って思ったの。」
「それで、こういう活動をはじめることに至ったのね。
だけど、はじめてみたら茨の道だったけどね・・・・。
今でも、子どもの冒険遊び場やりながら、自分は子どもにどういう大人に見られているかなって気にしながらやってるよ。」
っていってくださいました。
とても、ジ〜〜ンとくるいいお話なので、
・・・・・・
自分は、どうだったのか思い出してみました。



わたしは小さいとき、木の棒とか、枝とか、そんなものを見つけると、
すぐ木のもとに、家を作りたがっていました。
自分の松前の家でも、それはもちろんしていましたが、
すぐ、うちのじいちゃんに壊されました。
母方の祖父母の伊予市の家に遊びに行くと(これが現在のアプリコットの場所なのですが)
そこで家を作ると・・・じいちゃんは壊さないで置いてくれました。
それどころか、
木に、ロープをつなげてブランコをつくってくれたり、
時には、その私が作った変な家にお客さん(もちろん子ども)がいっぱいになったてたら、冷蔵庫の残り物を上手に組み合わせて、簡単な料理なんかも
その家に運んでくれました。
それが、子ども心なりに、大感動!!!!
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この思い出が原点で、
いろいろ近所の人に苦情を言われても、
親戚に苦情を言われても
頑張って来れたんだと思います。
この場所で、子どもが笑顔でいてくれる限り
わたしは、じいちゃんとの思い出をいまの子どもたちに伝えてあげたたいし
この気持ちを、その子どもたちも、いつかは大人になったとき
それを、子どもに伝えて欲しいと思う。
そんな気持ちがあるから、
わたしは、やっているんじゃにだろうか・・・って思う。
それは、はっきりもせず、そうなるともわからない
はかないものかもしれないけれど、
ここに来ている子どもたちの笑顔を見ていると、それが
すべてが砂のように消えてしまうとは思えない。
現に、駄菓子を買うだけだった子どもが、
今では、話をするだけにうちに来ている子どももいる。。。
(駄菓子を商売に考えると商売にならないのでマイナスかもしれないが、
なぜか、今わたしはこういう子どもが、いとおしい・・・)
話は戻るけど、
その私が家を作ってよく遊んだ木っていうのが
「ジャパニーズ アプリコット」なんですよね。
だから、
わたしのここの名前を
『あぷりこっと』
命名したわけです。
つまり、原点を忘れないようにしようという決意表明です。
・・・・となかんとかいっちゃって、
とりあえず、
わたしは、今は
駄菓子やおばちゃんです。
しかし、
今の子ども以上に、わたしはとてつもない遊びやいたずらをしていたのに
その当時は、今のような怒られかたではありませんでした。
庭に入ったぐらいでは怒られなかったし、
ましてや、田んぼのあぜ道を歩いてきたぐらいでは全然おこられませんでした。
それが、今では、それぐらいのことで、苦情がきます。
同じ地域で、住んでいる人もほとんどかわっていないのに・怒られちゃう。
どうして、こんなにセチ辛い世間になちゃったのでしょう・・・・
誰か、教えて欲しい・・・ものです。。。。