どうして、アトリエを?

今日は、ご近所に住んでいるMiruさんと、打ち合わせしました。
そこで、わたしもぼんやりと心の中で思っていたのですが、
Miruさんとお話して、
「もっと、どうして、このアトリエを作ったのかを自分で語らないと誰もわかっちゃもらえないですよ。」
って、いわれて、
ああ、なんでわたしはこういう場を作りたかっのか・・・を
初心のころを思い出してみました。
それを、これからお話したいと思います。

わたしが、エジプトで活動していたとき、
ストリートチルドレンの施設がありました。
名前を”トフルティー
といいます。アラビア語で意味は、
「わたしのこどもたち」もしくは「子ども時代」といいます。
わたしは、このネーミングになんら深く考えずに、そこの施設に行き来し
子どもと戯れ、楽しく過ごしていました。
施設長も、なんら自分のことを語らずにすごしていました。
あるとき、JICAがこの施設の活動ビデオを制作したいということで、
施設長が、インタビューに答えるシーンがありました。
これを観たとき、わたしは「はっ」としました。
Q:
ここの子どもの将来をどのように考えていらっしゃるんですか?
A:
幸せな人生です。

この答えに、インタビューアの人も驚いて、
Q:それだけですか?
A:それだけです。
ただ、
子どもが、子ども時代に楽しいと思える思い出が持てるように心がけています。
「子ども時代」にいい思い出を持つということは、子どもたちの将来の人生で一番の糧になります。
子ども時代が貧相だと、平気で人を殺します。それは大きくなると戦争も平気に起こします。子ども時代が豊かだと、温かな将来がまっています。
・・・・といっていました。
この考えが発端で、施設のネーミングを「トフルティー
(子ども時代)にしたのがよくわかりました。
わたしは、それまで、エジプトで何ができるかばかりを考えていて、
日本にあまり目が向いていなかったわけですけれども、
私自身の経験を振り返って、
私がここまで歩んでこれたのも、子ども時代が楽しかったからだと思いました。
そんな経験を子どもたちにも味わってもらいたい。
そう思って、日本に帰ってきました。
そして、日本に帰ってまもなく、
和久洋三氏の「わくわく創造アトリエ」という
活動を知りました。
http://www.w-playroom.jp/
彼も、子どもにいい思い出を持ってもらうために、精力的に活動している方です。
「同じ考え方だ!」っと思った私は、すぐ東京に行って研修を受けました。
この活動を地元で発揮したいと思いました。
それで、わたしのアトリエのネーミングを
「創造アトリエ」をつけたのです。
家では、汚してはだめ!といって、できないようなことや、
もっと、自由に創造活動に没頭したい子どもはたくさんいると思います。
わたしは、今年3月まで中学校で美術教科を指導していましたが、
特に美術に興味のない子であれば、週に1コマの授業など
へのつっぱりにもなりません。
では、小学校で!っともいたい所ですが、
「学校」という枠が子どもたちを雁字搦めにしてしまっているように思います。
(学校の先生ごめんなさい)
なんだかんだといっても、「学校」=「評価」だと思います。
創造活動においては、そこからはみ出すことがとても重要です。
しかし、学校において、
「他人の目を気にする」になってしまいがち。
本当は、自分の心の中ではこうやってみたい!
もっと、興味のあることがある。
だけど、発揮できない。
だれも、やっていないようだし・・・・いいや・・・。
ということになって、それをしまったまま大人になって、
自分で、その『本当にしたかった何か』をしまいこんでいるということも忘れてしまって大人になって、
時に、その柵がはずれてしまった大人が、とんでもない事件を起こしてしまってるんじゃないかな?

わたしは、そう思います。
子どもは、本当に優しい気持ちをもった時期です。
大人のいうことは、聞いてないように見えて、本当は心の中で思っています。
だから、一生懸命、生きて生きて生きて・・・・
学業が終わったころに息切れしちゃってニートになちゃうのかもしれません。

私のしていることは、突然、子どもの遊び場を作ったようなもんだから人によってはわがままに映ることもあるでしょう。
いろいろな人にお世話になりながらの活動です。
今日は、近状の方に、
「子どもに塀、壊された」といって、苦情をいわれました。
ああ、遠慮しないで、自分の地域の子どもじゃないですか!
注意しあいましょう!

いい出会いの場になりますように。
みんなにとって広がりのある機会につながりますように。

七夕の日、そう願いごとを書きました。