村上春樹さんのカタルーニャでのスピーチ

おひさしぶりなんだけど、
この最近、頭から離れないスピーチがあった。
皆さんもご存知だと思いますが、村上春樹さんのカタルーニャでのスピーチです。
それについて、色々書いてみました。
ちょっと、固い文章になちゃってるけど、
わたしの正直な気持ちです。
お時間ある方、読んでくださったらうれしいです。




村上春樹さんのカタルーニャでのスピーチ。
広島の「安らかに眠ってください。過ちはくりかえしませぬから」という言葉を出しておられた。
わたしも、震災直後、うまれて始めて今まで行こうともしなかった広島の原爆平和記念館にいった。
いつのまにか何時間も鑑賞していた。
放射能というものは、直後よりも、数年後のほうがとても怖いものなんだ。ってわかった。
愛媛に帰ってきた。「原発反対っていうデモをやるから、参加しない?」って、ちょうど、そのころ友人に誘われた。
だけど、デモをやってなにかかわるのだろうか?
エジプトでは、デモをやって、国の方向が大きく変わってしまうほどの大改革が起きた。
だけど、日本でデモをやったぐらいで何が変わる?????
と、可能性が見いだせれなかったので、参加するのをやめた。
原発反対だといっているけど、ほとんどの電気は、原発からまかなわれている。こんな生活になっちゃっているのだから、
今頃、原発をやめろって言ったって、どうにもならないよ。。。
といったところが、正直な気持ちだ。
しかし、村上春樹は、わたしのそんなもやもやした気持ちを言葉にしてくれた。
本当は、それは安全じゃないのではって思っていても、
”『じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね』という脅しのような質問が向けられます。
原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られます。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面上の「便宜」に過ぎなかった。
それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。”
(スピーチ抜粋)
わたしは、大学4回生のころから、車に乗り始めた。
結構車に融通が利くように道路が整備されてるのを乗りはじめるときづいた。不思議だった。
もっともっと大昔は、人が地面を歩くほうが大多数で、
これがもっとも自然であったはずなのに、
車という利器が世の中にはやってしまうと、道は、人を歩かせるのを優先するのではなく、車を優先にした道を造り始めるのだということ。

原発も、道の原理と同じなのだろう。
もともと、電気を得る方法は、原発以外にあった。
しかし、もっと効率よく、もっと大量に電気が欲しくなってしまった人々は、
そんなものは必要ないよっていっている人をも説き伏せて、電力を得ようとしてしまった。結果、何人もの人が故郷を追われる羽目になってしまった。

一体、私たちは、発達発展ということをどう考えていかねばらななかったのでしょう。

一生懸命、働いて、努力して、いい成績を残すことこそすばらしい。そればかりしかやっぱり頭になかった。
わたしも、途上国に行くまでは。。。。

自分のがんばりたいときにはがんばって、1日働くときには働き、そして、休み、夜は夜で余暇を楽しむ。
そのように生活している国はたくさんある。

話はそれちゃったけど、村上春樹さんに戻ると、そんなどうにもならない域にたどり着こうとしていた日本に、渇を入れてくれるような、スピーチでした。
何を追い求めていかなければならないのか。
人は、それぞれ自分自身の身の丈を知って、その身の丈の人生を送る。
それは、サボっているのでもない。
身の丈も知らず、ただひたすらに働いているのは、無駄?なのかもしれない。
逆も言える。
身の丈の知らずに、ただ寝てるばかりしているのも、無駄といえるのかもしれない。
日本人がどうして、自然を崇拝するのかが、よくわかった。
中学生のころ、なんとはなしに暗記した「平家物語」の“無常”ということばは、
何百年たっても、日本の思想を支配している。
何千年たっても朽ちない世界がある国と、百年単位で朽ちていく世界がある国では、
絶対考え方も違ってくる。
「変わっていく」ということが自然である日本に住んでいる限り、
日本人は、変化が起こるごとに知恵を出していかなければならないし、
変化に戸惑って立ちすくむのではなく、前にすすんでいかなければならないということ、改めて覚えておかねばならない民族である。

そして、現実では、無力になっていた私だったが、
倫理の上では自由になれるかもしれないと、そんな期待もできるようになった。
がんじがらめな世の中だと思いながら生活していた。
だけど、彼のように、自分の中の倫理の声を聞きながら、
この移り変わりの速い世の中の風に、吹かれているだけではなく、
沿ってみたり、吹かれてみたり、そういったことを楽しみながら、
生きていくことができるんだなってわかっただけでも
今、ふっと、気が楽になった気がしているのです・・・。