ばあちゃんの笛

お仏壇の柱に、笛がかかっているのを、ふと発見した。
これは、たしか、じいちゃんの最期の日、
ばあちゃんが、鳴らした笛。
そこは、深夜の病院だったので、看護士さんが、
「止めてください」
といったけど、ばあちゃんは、
「この人は、いろんなことを我慢して生きてきとったんじゃ!これから、やっとていうときやったのに・・・」
っと鳴らしながらおいおい泣いていたのを覚えている。
『魂が戻ってくる』とお寺さんからもらった笛だと
たしか聞いたような気がする。
それから、何年後かして、ばあちゃんも逝ってしまった。

・・・それから、5年の月日が流れて、
わたしは、この家の蔵を借りてアトリエを開くことになった。
開いてみると、いろいろなことがわかってきた。
じいちゃんが、いろいろなことを我慢して生きてきていたのかが、見えてきた。
あのころは、わたしは単なる子どもでしかなく、
じいちゃんは、わたしにとってじいちゃんでしかなく、
じいちゃんの苦労していたことなんて木っ端微塵もわからず、大人になった私。
そんな苦労をしていても、わたしたち孫の前では、優しいじいちゃんであり続けたその姿。ばあちゃんも、そうだった。優しかった。
わたしが、大学を卒業して社会人になりたてのころ、
親にも話せない、かといって友人にも話していいものかどうなのかわからない悩み事がある日は、ばあちゃんのところにいって話していた。
どっかりと腰をすえてばあちゃんは、私の話をゆっくりよく聞いてくれた。
それだけでうれしかった。次に向かっていく勇気がわいてきた。
本当わたしは、将来の目標は、「おばあちゃんになる」とそのぐらいから思いはじめた。
目標にしなくても、勝手に歳を食っていけばおばあちゃんになるのだけど、
ちょっと、寄ってみたくなる、ちょっと、話してみたくなる、
そんな雰囲気を持ち合わせたばあちゃんになりたいといまでも思っている。
(その前に、結婚して子ども生んでその子どもがまた子どもを生まないとばあちゃんになれないので、実現不可能となりつつあるけどね・・・・)